祖母が亡くなった。仙台へ行ってきた。
行けて良かった。
こんなことがないと気持ちが動かないなんて本当に情けない。
結婚をして嫁を紹介する機会はいくらでもあったはずだ。
でも時間は過ぎる。あっという間に過ぎた。
ばあちゃんを前に誰も泣いていなかった。
父さんは長く生きたお祝いだから泣かなくていいと言っていた。
そう思う。
でも僕は泣いてしまった。
何がきっかけだったかわからない。
普段感情を揺れ動かさないようにあまりに注意しているから?
仕事が忙しいから?忙しいふり?
疲れているから?
みんなに会えたから?
どれも当てはまりそう、
少しでも感情を揺さぶられる場に出ればどんな状況であろうと
泣いてしまう自信みたいなものが今はある。
だからああいう場所にはできるだけ行きたくない。
ばあちゃんの死に親しい人がどんな振る舞いを見せるのかを僕は知っておきたかった。
経験、勉強できるものではない。
遺骨を持つ父さん、弔辞を述べるおんちゃん、いつもと変わらないように見えた
おばちゃん、
「龍くんにはまだ喪主は務まらない」とは嫁のひとこと。その通り。
もうここにはいないことをいまさら思い、悔しさに情けなさが加わり涙する。
自分の涙はそういうものだった。
戦争を耐え抜き、戦後を生き抜け豊かさを築き、震災を乗り越えたばあちゃんの逞しさ。
誰もそんなこと言ってなかったけど、ばあちゃんは僕にはとても「厳しい人」というイメージがあった。11人兄弟の長女。あたりまえか。
嫁を紹介する場が葬式なんて本当に申し訳がなかった。
でも嫁と一緒に行けて良かった。
気持ちが前に進む、押されるような、そんな感覚を持ち帰ることができた。
帰りの新幹線で食べた苺スジャータをきっと忘れることもないだろう。