パート7

京都の地図で右上。指し示されてもそこがどういう場所なのかはわからない。ただ今日これまで見てきた物件は地図の左側のほうを回っていたらしいということ。シュウガクインという響きが耳に残った。大学からは離れているけど自転車で毎日一時間かけて通っていた身にはその距離は気になることではなかった。不動産屋の車で移動する。父が助手席に、母とぼくは後部座席。ぼくは窓の外の雪を見ていた。父が不動産屋の人と世間話をしているうちに目的地の修学院に着いた。

パート7

京都の地図で右上。指し示されてもそこがどういう場所なのかはわからない。ただ今日これまで見てきた物件は地図の左側のほうを回っていたらしいということ。シュウガクインという響きが耳に残った。大学からは離れているけど自転車で毎日一時間かけて通っていた身にはその距離は気になることではなかった。不動産屋の車で移動する。父が助手席に、母とぼくは後部座席。ぼくは窓の外の雪を見ていた。父が不動産屋の人と世間話をしているうちに目的地の修学院に着いた。

パート6

三、四軒目と見ていくうちに時間はあっという間に過ぎた。なかなか決め手なるようなものに出会わない。親身ということばがこれほどに身に沁みることはない、両親は真剣に自分のために付き合ってくれる。そんな親元を離れ自分が京都に住んでやっていけるのだろうかという不安は少しずつ暗くなっていく空に重なっていくようだった。案の定、雪が降ってきた。帰りの新幹線の時間が少しずつ迫る。土地勘はないが住む場所の範囲を広げ、たよりにしていた大学が用意したパンフレットを諦め、目に入った賃貸斡旋所に飛び込んだ。

パート5

二軒目を見る前にパン屋の一角にあるイートインで昼食。曇り空は続いていて寒さは京都に着いた朝よりも増しているように感じた。二軒目は狭い階段を上り三階にある大学生が住んでいそうと自分が想像できるよう物件で窓からあまり日差しが入らない部屋だった。部屋数の少ないの物件であることとなりに畑があるのは良いと思った。家賃も含め、父さんは学生がひとり住むならこんなもんだろうと思っていたと思う。母さんはその部屋にある例えばキッチンの小ささや日当たりの悪さを嘆いていたのではなかったか。

パート4

ドアを開けると靴脱ぎにそのまま六畳くらいのワンルームがある部屋。とても小さなキッチンが付いていて、ユニットバス。部屋の狭さよりもユニットバスという存在に驚いた。管理人のおばさんがとても親切で荷物の預かりなんかもわたしができると発すした言葉に両親は好感を持ったようだった。大学までは自転車で十五分程度。昼前にタクシーで次の物件へ移動した。

パート3

曇り空の京都は寒かった。大学から送られてきた賃貸斡旋の案内を頼りに両親とバスに揺られる。国道をまっすぐに走る静岡のバスに比べると京都のバスは角をよく曲がるのだなあと思った。大学の名前が入ったバス停でバスを降りて自分と同じような、親子で大学に行く人たちの姿を確認しなぜか安心した。大学で手渡されたパンフレットを使い京都での住まい探しが始まった。

パート2

出発は朝早かった。静岡京都間を結ぶ新幹線は当時も今も変わらずひかりもしくはこだまである。ぼくがサッカーばかりやっていたから休日にどこかへ出掛けるましてや両親と新幹線を使って遠出をすることははるか昔に親戚の家に行くことを除けばほとんどなかったからとても珍しい出来事なのだった。三人席の座り順も、両親の表情も、着ていた服も、その時に自分が何を考えていたかももう思い出せない。自分はもう少ししたら親元を離れてせいかつをしてくことになるそんなその時の自分には形にも描けないようなことをおぼろげに思っていたのだろう。